モジャコ漁に乗り子として参加!まじできつくて本当につらい

鹿児島県では、モジャコを生捕りにして業者に渡すモジャコ漁が盛んなエリアです。他には宮崎県や四国でも行われています。
毎年期間も23日と定められている期間限定の漁で、各県によって漁獲量も決まっています。

モジャコってどんな生き物?

モジャコとは、おおよそ3センチから5センチ程度のブリの稚魚です。
ブリは出世魚で、大きさによって呼ばれる名前も変わりそれぞれの地方によっても呼び名が違ったりします。
種子島の漁師の間では、モジャコより小さい稚魚をメラと言いモジャコより大きく育ったものをトビと言っています。業界用語ですね。

身の危険を感じると黄色が目立つようになります。

モジャコ漁とは?

ホンダワラなどの流れ藻や、漁具などを隠れ家としてモジャコがつきます。他にもカンパチやアジ、タツクリ、ワタリガニなど様々な海の生物がいます。
漁具にはハングル文字が書いてあるものも結構、見かける事があり流れ藻自体も中国沿岸部から黒潮によってやってくるそうです。その黒潮の通り道が種子島や屋久島の沖合いなので、モジャコ漁が盛んなエリアはその付近になります。
そんな流れ藻をモジャコ漁船で探し、見つけては丸ごと囲んですくいあげ、船の生け簀に入れます。その藻には、モジャコがいるかはどうかはわかりません。アジなど他の魚だとちょっと残念です。。
毎年3月下旬から5月中旬までの間の23日が漁を行ってもいい期間になり、短期決戦の漁です。種子島でも西之表エリア、中種子エリア・南種子エリアと漁船団が分かれていて取れ高によってそれぞれのエリアで番付も決められます。

モジャコ漁船を見れるのはいつ?

春の風物詩と言われるモジャコ漁船は通年いつでも見ることができるわけではありません。

普段は、イカ釣りや遊漁船など全国の漁師と同じような活動をしています。そこで、毎年3月下旬から5月中旬ぐらいまでの間だけ船には流れ藻をすくう網や竿などの必要な装備を取り付けられます。
漁港に入って停泊している時は、竿はしまわれていてわかりづらいですが、それぞれモジャコ漁の許可証のようなひと目でわかるフラッグを掲げています。

また期間が終われば、通常の漁に戻るためその期間しか見ることができません。朝早くに出港して帰りは日没後に帰ってくる船がほとんどなので日中は時化の時にしか見ることができません。


モジャコの生け簀@はいびすかすより

モジャコ漁が終わっても一時期、西之表港の近郊に生け簀があるので高速船やフェリーから見えます。

生け捕りしたモジャコは、業者の生け簀に渡されてある程度大きくなるまでここで養殖されます。

そんなモジャコ漁を初体験

1回体験してみたいなぁと思い、種子島生まれ種子島育ちの先輩に相談し紹介してもらう事ができました。
モジャコ漁は求人も出ていなければ、知り合いがいないとなかなか働く事ができず数年前よりお願いしていて、今年初めて乗り子として参加することができました。
船長と漁労長と乗り子1人~2人が基本的な乗組員になるようで、私は乗り子見習いと言ったところでしょうか。

聞いている話によると時化の時には漁も休みになりサイズがある波でサーフィンできて最高らしい!!
と、そんなモジャコ漁を半ばなめた気持ちで種子島入りをしたのです。

モジャコ漁の初日を終えて…

普通に生活していれば、漁船に乗る事もゼロに等しく。かと言って体力や力仕事に自信があるのか?と聞かれればそうでもありませんでした。
実際に初日を終えてみての感想は…「人生ナンバー1のハードワーク」でした。
何とか船酔いはせずに初日は終えましたが、陸酔いという陸地にいてもずっと揺られている感覚に陥り晩ご飯も食べられずしまいには寝てる時に究極の吐き気がありリバースしてしまいました。。
「紹介してほしい」なんて頼んだことを若干、後悔し…それが明日もあるのかぁと考えると憂鬱な気分全快で翌朝を迎えるのでした。

モジャコ漁の2日目を終えて…

2日目も仕事のやり方もままらない素人なので、モジャコ漁の先輩にここはこうしたほうがいいとなどとアドバイスをいただきました。
実際に経験が大事で、全く戦力にはなっていないのは自分でも承知でした。。
極度の緊張と今までに経験したことのないハードワークで、時間はあっという間に過ぎました。

 結果は…2日連続の不漁でした

この日は、モジャコではなくアジが大漁で、その子アジをもらって帰る事になりました。


アジの唐揚げ@海からの贈り物

3日目はモジャコ漁の休漁日

時化のためお休みになりました。またモジャコも大きくなりすぎトビと呼ばれるサイズになっていたこともあり3日間の連休に!前日の夜に食べたアジの唐揚げにより元気を取り戻しました。笑
かと言って、全身極度の筋肉痛…あちこち痛いし…網を何十回も引くので軍手を二枚重ねでも指先はこの通り…網の中にはクラゲもいるので軍手がない手首の部分はこの通り…


あちこち負傷@モジャコ漁

それ以降のモジャコ漁について

船酔いの心配もなく陸酔いも2日目ぐらいまでは本当に人生の終わりかのような感じで、めちゃくちゃ辛かったのを今でも思い出します。
体も日に日に船仕様になり、イルカの群れやウミガメも見れてやっぱり海は最高だぁ!と思えるようになりました。
屋久島では、船に泊まり船員で焼肉をしたりと振り返れば楽しいことがたくさんありました。
いろいろとありすぎてこの記事にはまとめられないほどの経験もたくさんできました。

今年のモジャコ漁は10年に一度の不漁年で、前半はなかなか捕れずの年だでしたが、初めてなので不漁かどうかも分からずでしたが…笑

怪我なく最後までやり切ったモジャコ漁

3月の下旬から5月の上旬まで続いたモジャコ漁もいろいろなトラブルがありながらも怪我なく最後までやりきることができました。
不漁で探し求めていたモジャコの捕れ高は微妙でしたが、乗り子として雇ってくれた船長や、モジャコ漁を共にしたメンバーには感謝しかありません。
この出会いは私の中で、大漁の中の大漁と思える大きな収穫になり、辛くてきつくて二度とやるもんか。と一時は思えるぐらいのハードな仕事でしたが、やって良かった!と思えました。

船長と最後に別れる時には、感無量で泣きそうになったのは内緒です。笑

貴重な経験をありがとうございました。
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